「ある家庭の子供2人のうち,1人は男であることがわかっている.このとき,もう1人が男である確率は?」
確率の分野でとても有名な問題のひとつの表現です.確率の入門書に限らず,この手のパズルを紹介する書物などでもよく見かけ,またインターネット上の様々なコミュニティで定期的に話題になります.
Yahoo!知恵袋でも検索をかけると数十件程度同じ内容の質問が並んでいたりします.テレビ番組で取り上げられたこともあるようですね.
なんやかんやと炎上したあげく,答えは1/3だという結論に達するのが定番の流れです.
私はこの問題,いつも間違ってるんじゃないか?と思っています.少なくとも問題文に矛盾があって,答えを1/3とするのは乱暴すぎるような気がしています.
まず挙げられる(間違いとされる)答えは
「性別なんてもう片方の性別には関係していない.だから1/2だ」
というものです.これに対する反論はだいたい以下のようになります.
「想定されるパターンは(男,男),(男,女),(女,男),(女,女)の4種類である.このうち4番目は問題文より除外されるので,残り3パターンから考えて1/3だ」
この説明は一見正しそうに見えます.ただ,上の説明で問題文の「もう1人が男」を考えるとどうにも不穏な空気が漂い始めます.特に(男,男)のときのもう1人ってどっちでしょう?
問題文を見てみると,問題文前半では単に「1人は~である」という表現が使われているだけです.これは(答えを1/3とする文脈では)「~という人が1人以上いる」と言っているだけであり,特定の人のことは何も記述していません.じゃあその後に続く「もう1人」は?と考えると,そんなものは定義できないことがわかります.
(問題文のつじつまをあわせるなら,「1人は男である」を特定の人にすることになり,答えは1/2になるでしょう.この場合は上の誤答とされていた表現もすんなりくると思います.)
この記述のおかしさは男女というどちらも起こりそうな現象で考えると気づきにくいですが,もっと確率の偏った出来事に置き換えて書けば雰囲気が変わります.
「太陽と月のうち少なくとも片方は東から出て西に沈む.もう片方は~」
と書くと,いやいや,もう片方なんてないでしょう,となると思います.(前半の文には特に間違いはありません.)
出題者の意向通り答えを1/3としたいなら,問題文は「両方男である確率は?」としないとおかしくなります.細かい違いのようですが意味が全然変わってきます.
以前Slashdotに載った記事で「子供が二人いて、(少なくとも) 一人は火曜日生まれの男の子である。もう一人の子供も男の子である確率は ?」という問題を扱うものがありました.
問題の原文は “I have two children, one of whom is a son born on a Tuesday. What is the probability that I have two boys?” となっており,問題はなさそうです.
ところが英語版の記事に転載された段階で “What’s the probability that my other child is a boy?“となってしまい,ここから変な話が始まってしまっています.
(ちなみに原文での答えは13/27になります.これは火曜日という一見どうでもよさそうな条件が答えに影響するという点に面白さがある,と紹介されています.考えてみて下さい.)
まあこんなのは言葉遊びだと言われればそうかもしれませんが,一度問題を正しく把握してしまえばあとは適当な手段で計算するだけなのであって,その段階に落としこむまでのほうが大事であることはよくあることではないかと思います.
私が一番気になったのは,こういう質問に答える側の人があまりこういう議論(問題文に矛盾がある,とか)をしないのだなと思ったことです.元が有名な問題なのでたぶんどこかで聞いた/議論した答えを輸入しているのだと思いますが,もし正しい答えとされるものを十分な吟味なしに「正しい答え」として広めているのであれば,それは自分の出した答えが間違っている以上に危険なことではないかと私は思います.