【FF13考察】「その章も一本道だぞ」新聞を読みながら教えてくれた親父は、昔 コクーンをパージされたパルスのファルシのルシだった。


タイトルで気づいた方もいるかと思いますが、今回の話題はRPGゲーム “Final Fantasy XIII (FF13)” の感想です。
タイトルの元ネタはこちら

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※この記事の画像は全てスクエア・エニックス社のFF13紹介ページから引用したものです。
全ての画像の著作権はスクエア・エニックス社に帰属します。

FF13といえば、往年の名作シリーズの最新作ということで一時は各所で異様に話題になった作品です。

実は最近何人かの友人に「ブログの内容がおかしい」と言われたのをちょっと気にしていて、たまには趣向を変えてゲームの感想でも用意しようと思ってこうなりました。これでこのブログも一般的になれますね!

私がFF13をプレイしたのは1年ほど前のことになります。私はゲームは一人でやって勝手に満足するのが好きなので感想を書くことはほぼないのですが、丁度物語の完結編(FF13:ライトニングリターンズ)が出るとかで盛り上がっていること、ゲーム中思いついたあれこれを放っておくのも勿体無いかと思ったので、ここにFF13の感想を書いておくことにしました。

感想というよりはほとんど考察です。ネタバレを含みます。プレイしていない人でも読めるように書いたつもりですが、内容がわからないと理解困難なところもあるかと思います。あと、私はあまりRPGをプレイしないので、ゲームの感想が一部RPGというジャンルそのものの感想になっているかもしれません。

全体像: 同時進行する複数ゲームのよう

このゲーム、まるで複数のゲームを切り替えながらプレイしているようでした。

複数のと言っているのは戦闘システムであったり、散策であったり、ストーリーやイベントムービーやらのことです。それらが互いにかみ合わずに同時に進んでいくのです。

具体例を挙げると、まずダンジョンがほとんどストーリーと関係ありません。明確な目的があって出向いたのは全13章中7章(商業都市パルムポルム)と9章(戦艦パラメキア)くらいなもので、後は成り行きとはいえ「何でここにいるんだろう?」みたいな場所ばかりです。ストーリーはほぼイベントムービーで進みますが、そのムービーの進行とストーリーの進行もしばしば時系列が独立しています。少し歩いては数日前の回想シーンが挿入されるという状態です。

イベントと世界観のプロットも結構独立しています。世界観的に重要なのが魔法の扱いですが、こちらはイベントではだいたい存在が忘れられています。押し寄せる兵隊を倒すのには銃で(7章)。復讐をしようと思えばナイフで(同じく7章)。味方が負傷してしばらく戦闘不能になるイベントがあるのですが、なんと包帯で治療します。回復魔法という概念は戦闘中にしか存在しないようです。
その戦闘システムも基本的にはストーリーの進行と独立していて、戦闘になると突然わらわら出てくる大量のゲージは特に世界観的に説明はつけられいません。戦闘はオリジナルのシステムです、といった感じです。

また、バックグラウンドやキャラクター設定などのプロットは豊富なテキストで構成されていますが、全体的に大量の文章で補完される世界観のプロットが伏線として機能していない感があります。背景説明というよりまるで二次創作のようです。

章ごとにある山場、いわゆるボス戦も、2章や9章、ラストを除けばたまたま出くわした強敵とか突如出現した召喚獣とかが向こうから勝手に襲ってきます。
まあ、向こうから襲ってくるのは主人公からしてみれば戦わざるを得ない状況ですが、プレイヤーから見ると召喚獣とかストーリーに関係なく次のプリレンダムービーの出番に間に合うようにとりあえずボスとして出てきました感もあります。名前を出すならシヴァとバハムートとヘカトンケイルはそんなノリの気が。
「俺様の活躍する美麗ムービーを見たけりゃその前に俺を倒していくんだな!」

召喚獣バハムート。「ん、バハムートってベヒーモスと別扱いなんだ?」

召喚獣バハムート。当時の私「ん、バハムートってベヒーモスと同じじゃないんだ?」

私は活字小説と、CG世界のウォーキングと、戦闘を別個に楽しむためにゲームをしているわけではありません。当然それらはRPGの大事な一部ですが、各要素は互いの引き立て役になっていてほしいのです。ゲームの進行に一切影響を及ぼさない挿入ストーリーは感情移入のしようもありませんし、綺麗な舞台も遠目から見ることしかできなければただの壁紙になります。戦闘にしても、ストーリーと関係のないたまたま居た野生モンスターみたいなものを強敵ボスにされても面倒な作業にしかならないわけです。

このゲームの構造はよく「はじめから終わりまで一本道だ」と文句を言われますが、たいていのRPGはある程度一本道の要素を持っていると思います。ただ一本道でもプレイヤー視点で目的地に進むなんらかの理由付け(そこのボスを倒すと強くなるとか、ストーリー上の鍵が見つかるとか)がなされていれば、目的意識を持って進めるだろうと思います。これが今作のように「特に目的はありませんがマーカー地点まで進んで下さい自動で次のイベントが起きますので。」を繰り返されるとやらされている感を覚えてしまうのでしょう。

ゲームの規模が大きく中身を各要素にわけてそれぞれ別チームで作るという説明もあったので、そういう体制だとこうなりやすいなのかな、と思いました。

戦闘: すべてがボス戦

このゲームにはいわゆるRPGの街に相当する休憩ポイントがありません。街の代わりにあるのは道中に大量に用意されているセーブ兼ショップコーナーです。
戦闘をまたいで消費されるものは徹底的に排除されていて、HPは毎回全回復、技の使用回数は無限となっています。

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その結果どうなったかというと、すべての雑魚戦がボス戦化したのです。つまり、毎回全力の装備で挑み、ゲームオーバーと隣合わせでせめぎ合う数分~十数分間の戦闘が数十歩おきに起きるのです。負けても戦闘の直前からやり直しになります。

古典的な道中の雑魚戦というのは、リソース配分の戦略を練るゲームだと思っています。先の街で買ってきた回復薬の残量を数え、味方のHPに気を配りながら歩き、とっておきの技の使い所を考え、そしてうっかり強敵に出会って全滅しようものなら絶望を味わうわけです。
これらはゲームの主人公ではなく、プレイヤーそのものが考えることです。プレイヤーはこれらの体験を通して「寂しさ」やら「険しさ」やらそういう感覚を主人公と共有するのだと思います。そして次の街に着けば主人公と一緒に安心感も味わうわけです。もちろんこれらがRPGに絶対必要なものだとは思いませんが、このゲームでは雑魚戦のボス戦化、良く言えば「いつでも緊張感のある戦闘」のために切り捨てた弊害のほうが大きかった気がします。

ストーリーを追ってみると道中でも一行が家でゆっくりするシーンや野宿しようと言って美麗ムービーが挟まれるシーンは結構あるのですが、私はあまり印象に残っていません。プレイヤーにとっての宿は休憩ムービーではなくセーブポイントや回復ポイントだからなのかなと思っています。

FF13の戦闘について「緊張感のある戦闘」という人と「戦闘が単調」という人がいますが、私はどっちも正しいのかなと思います。はじめから終わりまでずっと雑魚敵相手にボス戦の緊張感を強いられるのである意味単調になるのです。

また、キャラクターのパラメータ的な成長は11章を除いてあまり顕在化しません。というのも、常に拮抗するバトルしかできない(レベルに上限がある)、以前の場所に戻れない、負けても即再試合という仕組みから、過去の敵と再試合をしたりして強くなった実感を得る方法が無いためです。

味方のパラメータは結構爆発的に伸びるのですが、章ごとにこちらのレベルに合わせて敵の種類が変わる(強くなる)ため結局はじめと同じ状態になってしまうのです。HPもやり込みでもしなければ基本棒グラフで管理なので、与ダメージが増えてもHPが増えると見た目が変わりません。このゲームにおいて「魔物の洞窟に行ったが敵が強くて苦戦、惜しくも敗走。ところが他の旅でレベルが上がってから再度挑むとざくざく進める、おおお強くなったな…」というような体験はまず起きません。はじめから終わりまで常に接戦。そして負けは存在しません。他の道もありません。

なお、本編終了後のメインの遊び場となる11章ではレベル上げのワクワクを思う存分楽しめます。この章だけいろいろと事情が異なります。不思議なものです。

ところで逆のプレイは可能で、こちらが意図的に敵を避けてレベル上げをしないと不利にはなり得ます。レベルに伴うパラメータの上昇が極端なため、これをすると圧倒的に不利になり容易に詰むので、面倒でも道中の雑魚は倒していくべきです。そうでないと下記にあるような理由により戦闘時間が際限なく伸びていき余計に面倒になります。雑魚を倒さないのはむしろ上級縛りプレイの領域です。

戦闘自体のシステムについてはATBゲージとかブレイクゲージシステムとかで説明されていますが、大雑把に言うと短時間で集中して叩くほどダメージ効率が上がるようになっています。数字は適当ですが、例えば倍の火力で攻めればダメージは倍どころか10倍入るような仕組みです。

逆に言うと、こちらの攻撃力や対処法が少し悪いだけでダメージ効率は極端に落ちます。システムでいうところのブレイクチェーンが切れたり、ブレイク発生後に守備の必要が生じてろくに叩けないときは悲惨です。また効率を犠牲にさえすれば際限なく回復が可能なので、こちらが弱くても負けるのではなく戦闘時間が伸びる仕組みになっています。先のダメージ効率の話と合わせて結果的にセオリー通りの戦い方をしないと戦闘時間が際限なく伸びていくことになります。
オールボス戦仕様と相まって勝手がわかるまで長時間苦行を強いられるプレイヤーも多いのではないかと思います。(この仕様は戦闘評価が経過時間になっているあたり製作者側もよく理解していたと思います。)

戦略も、基本的には短時間あたりのダメージ効率を上げることに尽きます。戦闘が始まったら守りつつ弱体と強化。終わったら一斉にぺちぺち叩く。敵を叩くほど効率の上がる仕組みなので、敵がどういう組み合わせで出てきてもほぼ常に1体集中がセオリーになります。この辺りはこうシステムを決めてしまった以上仕方のないことだと思います。一方で弱体と強化はバリエーションが多いので戦略を練る余地が結構あります。

雰囲気: 絶景と長い洞窟

グラフィック性能とかポリゴンとか言う前に色合いが大変綺麗です。CGは好きなので各種ゲームのグラフィック自慢はよく見たりするのですが、最近のFPSなどはリアルなのはすごいのですが彩度が低くなっているため、個人的には灰色のイメージがあります。このゲームはファンタジーということもあってかカラフルで楽しいです。ぼんやり景色を眺めるには多少カメラが使いにくい気はしますが。

背景のバラエティも多く、かなり贅沢です。だからこそ一度通ったら戻ってこれない仕様が非常にもったいなくも感じます。

サンレス水郷

サンレス水郷

景色は綺麗ですが、開けた景色が見れる部分は限定されています。特に道中では谷間とか洞穴が非常に多くて、広大な野生の大地で話題の11章も大平原と終着点以外はだいたい地面の割れ目と洞窟を進むという不思議な旅になっています。開けた土地ってやっぱり作るのにコストがかかるんでしょうか。
7章でとうとう広い街に着いたと思えば即座に地下へ続くパイプに潜入するはめになったり、11章突入ムービーを見て大興奮した後、操作可能になった瞬間キャラクターの周囲が崖になっていたりしてがっくりした人は多いはず。

音楽はただひたすら素晴らしいと思います。

ストーリー: (どうしてこうなってしまったのかについて)考察が楽しい

下につらつら書いていますが、一言で表すとうまくできていません。
うまくできていないなりに楽しめます。

そもそも母国から迫害されるところからゲームスタートですが、さらに序盤でパーティーが敵国の呪いにかけられ、呪いの目的である自国の破滅を果たせば魔法石に、果たさなければ魔物にされるという八方塞がりな状況におかれます。この時点で、聞き手としては「呪い消し探しの旅に行く最中に世界に関する驚きの真実を知ってしまうとか…」と適当に今後の打開策の妄想を膨らませられるのですが、実際は終わりまで状況が変わらないどころか解決策も見えずに終わります。それなら素直に「自国を滅ぼさなければ魔物になる呪い」辺りの設定にしておけば良かったのにと思います。

この設定もあってか前半道中はパーティーが基本的にお通夜ムードで、余命宣告を受けた難病患者のドキュメンタリーみたいなノリで進んでいきます。(ある人は現実逃避に走り、またある人は責任転嫁をして納得しようとし…)

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パーティーは社会から孤立しているのでおおよそ全編で兵士と魔物から逃げ続ける旅になるわけですが、ではどうやってストーリーができているかというと、なんと前ではなく後ろに話が進んでいきます。パーティーメンバーの回想話がどんどん続いていくわけです。そのためキャラは全員が皆に言えない過去を持っている状況になっていて、なぜかプレイヤーがひとり置いてきぼりになる展開に。主人公にとって大事な存在ということになっているセラも出番のあるうちはすっかりマクガフィン化してしまってもったいないなあと思います。(あれのせいで肉壁スノウが都合よく別行動になったり兵士に捕まったりしてるし。)

一方で後半のストーリーについてはどうもおかしい作りになっていて、私は何かの急な事情で舞台設定に大きな改変があって、辻褄を強引に合わせた結果のかなと勝手に思っています。
中盤の話の転換点でぶっ飛ばしに行ったいわゆる国王が実は国の破滅を目論む魔法使いだと判明するシーンがあるのですが、ここからの展開が「国王の手回しで首都の謎設備に飛ばされる(10章)」→「国外に飛ばされる(11章)」→「特に得るものもなかったところ首都に呼び戻される(12章)」と、まるで国王主催の世界1周ツアーみたいになっています。
敵は主人公一味に「あっちに行け」「こっちに行け」と指示するばかりだし、主人公達も「釣りかもしれないけど他にどうしようもないから行ってみよう」→「特に何もなかった(´・ω・`)」を繰り返しているしで、ここまでくるとストーリーは有って無いようなものです。「パーティーの行動が行き当たりばったり」とか「メインストーリーに幅がない」とか「敵役の行動に裏の意図もなく見たままシンプル」とか各所で指摘されているようですが、どちらかと言うと後半は作ってしまった冒険ステージ群になんとかストーリーをつなぎ合わせたように見えました。

10章の設備(フィフス・アーク)はもともと坑道という設定だったのを「使途不明のトレーニング施設」に変更して使ったというし、憩いの場と話題の6章(サンレス水郷)も本当は国外だったのを国内に変更したとのことで、いろいろと舞台の変更が見えます。
自由度とバランスの関係でここから本編と揶揄される11章(グラン・パルス)も、ストーリー上は飛空艇で国(コクーン)を飛び出した直後に墜落してスタートなのに、そこからはなんと冒険がコクーン方向に向かって進み、背景のコクーンも次第に大きくなっていくという逆向きの旅になっています。もともと帰郷の旅だったのを舞台そのままに冒険の旅に変えたような違和感があります。

指摘も多くされているようですが、終盤13章とラストバトルはプレイヤーにとって理解困難な展開で、私を倒して国を滅ぼせという国の基盤システム(=魔法使い)対、守ってみせると言い張る主人公勢でラストバトルが始まります。倒しちゃ駄目だって今まで言ってたのに特に解決策もなく敵の作戦通り元気に国を滅ぼそうとする主人公勢もすごいし、ボスもボスで滅ぼしてほしいなら攻撃してる間は抵抗しないでじっとしててくれとも思います。とにかく全てがかみ合っていません。

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議論噴出のエンディングはパーティーの大半が呪いで魔物にされますが奇跡で復活。国の基盤を滅ぼして崩壊を始めますが、特に説明のなかった力によりパーティーメンバー2人の犠牲で国土は崩壊中止。残りのメンバーは魔法石になりますがほどなく奇跡で復活。ついでに呪いも奇跡で消滅。さらに既に魔法石になっていたサブキャラも奇跡で復活して登場しめでたしめでたし。

こうやって奇跡で強引に物語を終わらせるは一応古くからあり、古代ギリシア時代の演劇用語から「デウス・エクス・マキナ」と呼ばれています。話がこじれにこじれて解決困難になった挙句、神が降臨して奇跡を起こしハッピーエンドになるというものです。古代ギリシア時代ではそれなりに見られた手法らしく、まあ当然といえば当然ですが幕引き手法として不合理だと批判されています。ちなみにデウス・エクス・マキナの訳は「機械仕掛けの神」で、今作の神様の造形にぴったりではあります。意識していたかどうかは知りませんが。
FF13のストーリーの元ネタのひとつだったりするのかもしれません。

舞台設定:パルスのファルシのルシがコクーンでパージ

用語が氾濫しているとよくFF13のネタにもされますが、(この記事のタイトルでもネタにしていますが、)まあ用語自体は意外とすぐ慣れます。

しかし、これらの新概念がどういう意味を持つのかきちんと説明されておらず、理解するにあたって大問題となっています。

そもそもプレイヤーから見て不確定要素が多いのがストーリーの根幹になるファルシとルシの設定。上では用語を置き換えて話していましたが、元の用語で説明すると「ファルシ(魔法使い)が適当に近場の人を呪ってルシに変え、使命を果たせば石(クリスタル)に、果たせなければ魔物(シ骸)になって人生終了」という設定です。

これだけでも相当に理不尽ですが、全てが「らしい」で進むので理解が捗りません。目的を果たせばクリスタルになるらしい。クリスタルになると永遠を手に入れられるらしいがその永遠がなんなのかパーティにはよくわかっていない。使命はおぼろげにしか知らされないがどうやら自国を壊すことらしい。序盤のヒロインのセラの使命はルシ用人間の数を揃えることだったらしい。と、ストーリーの根幹がこれでは考察どころではありません。しかも徐々に明かされるわけではなく最後までこのままです。後から出た解説書でも「本当のところは不明」で済ませる始末。

プレイヤーと主人公の想いが一つになった瞬間

プレイヤーと主人公の想いが一つになった瞬間

しかも設定では説明不可能な現象が道中で増えていきます。永遠のはずのクリスタルから復活した人が登場しますし、呪いが焼け焦げて進行しなくなっている人までいます。もちろん条件は最後まで不明。中盤で戦う別のルシはシ骸になりかけたあげく使命を達成せずクリスタルになり、さらに勝手に粉末状になってしまいます。このときばかりはパーティー一同もプレイヤーと同じく呆気にとられています。

終盤は奇跡のオンパレードでありとあらゆる舞台設定を蹂躙していきます。上にも書いたので割愛しますが、結局ほとんどのキャラが上記のルールを守っておらず、じゃあ頑張って覚えたあれは何だったんだ、ということになります。

この世界観のつかめなさはそう見えるよう意図して設計されたのか、それとも完成までに全体像をまとめきれず強引につなげた結果こうなったのかは判断できません。ただ私はストーリーの節でも書いたように、どちらかというと後者ではないかなと考えています。

一応フォローしておくと、この奇跡が奇跡がというのは裏設定であるファブラ神話からきていることになっています。裏設定というのは普通ファンが知れば世界観が深まるようなものを言うのであって、ないと辻褄が合わないものをこの扱いにするのはどうかと思いますが、それはともかく、本編ではろくに語られないファブラ神話というものが用意されています。指輪物語に対するシルマリルの物語みたいなものですね。
例えば最後のイベント戦で敵の裏に出現している白いオブジェがそれで、言われなきゃわかりようがありませんが、あれが「エトロの門」という神が奇跡を起こす際の目印ということになっています。そもそも「エトロ」という言葉自体やり込み要素中の一箇所でしか出てきませんが。

例によって抽象的で理解の役に立たないともっぱらの評判のファブラ神話ですが、私はおおよそ日本の創世神話のアナロジーでできているのかなと理解しています。大神ブーニベルゼから3柱の子が作られそれぞれの役割を云々というのは日本神話のイザナギから生まれたアマテラス・ツクヨミ・スサノオの話と似ていますし、大神のペアの女神が黄泉の国にいるという設定もそのままです。ファブラ神話ではエトロが父に見捨てられて母のいる黄泉の国に行こうとしますが、この元ネタは母の元へ行きたいと願って父に追放されたスサノオでしょうか。ファブラ神話の大神ブーニベルゼは世界を作った後眠りにつきますが、そういえば日本神話のイザナギも多賀に篭ってしまいますね。
他の神話でも似たようなものはあるかもしれませんが、あれこれ考えるのは楽しいものです。

舞台設定の浮遊大陸「コクーン」と、それを囲む周囲に地面、内側に空がある逆地球状の「パルス」という世界観は個人的にかなり気に入っています。ただコクーンの浮遊大陸設定を活かしたシーンがムービーを含めても皆無だったのは残念です。コクーン内部の情景は別に浮遊大陸感はないので、たまに見る遠景以外は別の設定でもそのまま使えそうだし、パルスにしても背景にコクーンが浮いている以外は地球上のような野生の大地です。あえて言うならコクーン脱出時のムービーに球殻がちらっと出てくる程度でしょうか。例えばコクーン球殻上のバトルとか、コクーン内からパルスを望む大海原とか、コクーン直下のパルス巨大タワー探検とか、そういうFF13らしい場所があっても良かったのにとは思いました。設定とゲーム内容が分離していると感じる一因でした。

個人の感想: とても楽しかった、ただし先入観はおそらく悪影響

これだけボロボロに書いておいて楽しいとはどういうことだ、と思われるかもしれませんが、私はとても楽しめました。本当ですよ。

これはプレイスタイルにも関係するかもしれません。私はがっつりとゲームの世界観にのめり込んで整合性を求めるというよりは、だいたい作者のことを考えながらプレイしている人です。「本当はこのボスどうやって戦ってほしかったんだろう?」と思ったり、金属面やら水の描画やら魔法エフェクトを見てどうやって描画しているんだろうかと思ったり、背景CG画像をなめ回して「あっちの遠景は3Dポリゴンだけどそっちの遠景は1枚絵で作ってるのかー」とか見つけて喜んだり、ろくに回収されない伏線を見て「ああ、作者はたぶんこっちの味方をしてほしかったのかな」とか考えて満足するようなタイプです。

FF13がこれだけあちこちで批評されている理由ですが、おそらく、はじめて最新機種で出る名作RPGの後継作品ということで「あの会社の渾身の作品!私の期待をはるかに超える超大作神ゲーであるはず!」という期待が多かったのだと思います。そんな期待をされたらどんな神ゲーであっても批判の嵐にあう運命は避けられないでしょう。

FFなのだからこうあるべきとか考えず、他のゲームとは特に関係の無い「いろいろ惜しいところもあるけど、あれこれ盛り込まれた意欲的なゲーム」として見れば、いやいやどうして、これは相当楽しめるゲームじゃないか、となるのではないかと思います。実際このゲームの評価は時間が経つにつれてかなり大人しくなり、良ゲーとして再評価されてきていると思います。不毛なゲームハード論争にまで巻き込まれて多少不遇な扱いだったような気がします

というわけで、やたら長文になりましたが、FF13の感想でした。FF13完結編、ライトニングリターンズが良いものになっているといいですね。


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